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大阪地方裁判所 昭和33年(わ)3119号 判決

被告人 劉永懐、木刀魚こと小野福太郎

昭六・二・三生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、被告人は中国に国籍を有する外国人であるところ有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく昭和三三年五月二二日頃中国の塘沽港より引揚船白山丸に乗船し、同月二七日頃京都府舞鶴市舞鶴港に上陸して本邦に入国したものであるというのである。

そして当裁判所において取調べた証拠を綜合すれば次の事実がみとめられる。

一、被告人は昭和三十三年頃中華人民共和国(以下中国と略称)の山西省寧武県で植林の仕事にたずさわつていたところ、中国に在留する日本人が故国に帰国できることを知り同県の公安局に対し帰国の申請をし、それが受理されたので山西省の各地からの他の帰国者と共に同年五月中旬太原市に集まりそこから汽車で、天津へ行き、同市に中国各地から集まつて来る帰国者と共に班を結成し帰国に関する手続をすませた後、天津市から塘沽港に出て、五月二二日、同港を乗客五六二名(被告人を含め)を乗せた引揚船白山丸で出発し同月二七日舞鶴港に上港して日本に入国したこと

二、中国における在留日本人の帰国問題については一九五三年三月中国北京において、中国の紅十字会代表と日本側の日本赤十字社、日本平和連絡委員会、日中友好協会(以下三団体と略称)の代表との間に、帰国の際の配船手続その他諸種の具体的問題について協議がなされその結果到達した協定(以下北京協定)にもとずいて昭和二十八年中国からの日本人引揚が開始され、爾来引きつづいて右協定により日本人引揚の手続が行われてきたもので、本件白山丸によるものは第一九次の引揚に該当するものであること

三、中国における在留日本人は一般にその居住する市の公安局において外国人として登録され、外国人居留証の下附を受けて、これを常時携帯しているが帰国の申請をしてそれが受理されると右居留証を公安局に返還しそれと引換に出境証明書の下附を受け他の帰国者と共に天津市に集結した後、乗船の際に右証明書を中国紅十字会に返還する手続になつていること(この点については高木修証人と森住和広証人の供述との間に多少の相違がある)

四、被告人は日本語が全く話せないのみならず、天津市に向う車中等で小野福太郎は自分でつけた名前だとか、北海道に叔父が居て日本共産党の遊撃隊をしているとか、その発言が奇妙なので帰国者仲間の間でも話題となり結局被告の属する班の班長の森住和広から天津における中国紅十字会へ被告人の身許(日本人であるかどうか)を確認してくれるよう要求しその結果、右紅十字会が山西省の公安庁(公安局の上級官庁)に電話で照会したところ、被告人が日本人として登録されており、帰国させて差支えない旨の回答が寄せられたので右の問題は一応解決したこと、

五、右の点に関連して、本件第一九次引揚に関し中国側から乗船者名簿を受取る等、本件引揚事務の遂行打合せのため白山丸に乗船して天津に来ていた日本側三団体の代表に対し中国紅十字会の秘書長彭炎から帰国者の中に小野福太郎という精神薄弱者が居るので気を付けて貰い度いという話があつたこと

以上の事実がみとめられる。

しかしながら、被告人が日本の国籍を有しないこと並びに、この事実を知り乍ら、日本人といつわつて本件引揚船による帰国者の中にまぎれ込んで日本に入国したという出入国管理令違反の犯意については以下に述べる理由によりこれをみとめるに足りる証拠はない。

即ち、被告人は当裁判所の公判廷における公訴事実の認否の段階において中国人であることをみとめる供述をしているのみならず、被告人の検察官に対する供述調書によれば被告人は中国吉林省楡樹県羅家頭において出生し、父は劉青山、母は王貴香であること、被告人は一五才の時八路軍第七中隊に入り、瀋陽、ハルピン等を遍歴した後、一九五〇年朝鮮戦争に従軍して砲弾の破片で頭に負傷したことその後一九五三年北京へ行きそこで四、五ヶ月の訓練の後、軍政治部の偵察所の偵察員となつたが、本件当時、上司の命令を受けて日本の木村という人物に手紙を渡すため日本人と詐つて引揚船白山丸に乗船して日本に入つて来たもので、舞鶴上陸の翌日、木村に手紙を渡してその任務を果した旨の供述記載があり、更に当裁判所の第八回及び第九回の公判期日における証人川崎時忠の供述記載によると被告人は、検察官の取調を受ける以前に、入国審査官として取調にあたつた同人に対し既に同様な供述をしていたことが窺われるのであつて、それによると、被告人は北京の南天門にある保密検察署の上司から小野福太郎名義の印鑑、日本人としての引揚証明書及び前記木村に渡す手紙を受取つたのであり、その手紙の内容は中国側が日本共産党第七全国大会に対し、日本における破壊活動を指示したものであるというのである。

しかしながら、これ等の供述は、被告人が任意に述べたものであるかどうかは別として、これを裏付ける何等の証拠がないのみでなく、鑑定人竹山恒寿及び浅井敬一の鑑定書によりみとめられる被告人の知能程度(右鑑定によれば被告人の知能指数は四〇前後であつて被告人は軽症痴愚程度の精神薄弱者である)が前記被告人の供述記載にある偵察員という職務の性質と両立しないことが明らかであること、中国側が前記北京協定に違反して中国人を日本人と詐つて、引揚者の中にまぎれ込ませるような事をすると考える如何なる合理的根拠もないこと、(特に中国紅十字社からあらかじめ日本側三団体の代表に対し、前記の如く小野という精神薄弱者が帰国者の中にいることを通告している事実に徴してこの事は疑いの余地がない。)の理由から、到底信用できないものでありむしろその全く架空虚構のものである疑が濃厚である。

そして被告人の捜査官に対する自己が中国人であるという供述も右の入国目的に関する供述と切離して、その信用性を云為することはできない。蓋し被告人の入国目的に関する自供がくずれ去れば日本語を全然話せない被告人が日本人と詐つて引揚船で日本に入つてくる必要がどこにあるかという疑問が生じ、ひいては被告人の中国人であるという供述そのものが怪しくなつて来るのを免れないからである、のみならず被告人が天津に向う車中等で他の帰国者等に対し、自己の父母等について語るところが種々変転していることは証拠上明らかであるけれどもその際、被告人が之等の者に対し自分が中国人であると語つたことはないのであり又被告人の父が日本人であるという点は一貫して変つていないのであつて、舞鶴に着いて後、捜査官の取調を受けた際も当初は日本人であると述べていたのであるが、その後川崎審査官の相当厳しい追究を受けて初めて中国人である旨の供述をしたことが窺われるのである。しかし、中国人であるという供述が一度為された以上、中国人の被告人が如何なる理由により日本人を装つて引揚船で入国したかという入国目的に関する質問がなされるのは自然の成行というべく、右の質問に対する答として前記の如き偵察員云々の供述がなされたものと推測されるからである。

又、被告人が当初当裁判所の法廷においても同様中国人である旨の供述をしていることも上記のとおりであるが、右供述も被告人の知能程度を考慮すれば未だ捜査官の取調べによる心理的影響から完全に脱していなかつた為ではないかとも考えられるのであり信用するに足るものではない。

従つて被告人が中国人であるという自供そのものはその入国目的に対する供述の真実性如何とかかわりなく、その信憑性を有するという検察官の主張は理由がない。尚検察官は被告人が一五才の頃迄父母と一緒に生活しながら自己及び父母の名前を日本語で記憶していないことは被告人の父母従つて被告人自身が日本人であるとすれば到底あり得べからざることであると主張する。しかし被告人が一五頃迄父母と生活を共にしたというのは、被告人の供述以外にこれを裏付ける証拠はないのであつて反対の推定も可能なのである、のみならずこの点を一応度外視しても被告人の前記知能程度、被告人の供述にあるように被告人が九才の頃公園のブランコで遊んで頭を強く打つて一年以上入院したこと、被告人が十五才の時以来、継続して中国人社会に生活し、劉永懐或いは木刀魚という中国名で呼ばれていたこと等を考え合せると、右のような記憶の喪失についてもこれを全く不合理不可能な事態と断定することはできないように思われる、少くとも右のみによつて被告人の国籍に関する一定の結論を抽き出すことは妥当ではない、その他検察官提出に係る被告人について出生地である在満日本公館に出生届が提出されてないこと、及び未引揚者中に被告人に該当する者がいないことについての外務省及び厚生省の回答文書も被告人が日本に国籍を有しないことを証明する決定的な証拠力を有しないことは明らかである。

却つて、鑑定人鈴木尚作成の鑑定書からみとめられるように、被告人が満洲の生れであるに不拘、人類学にいう全身計測において出生地満洲の住民とその形質を異にしていることが決定できること、遺伝的に基だ安定であると考えられる頭型において、日本人以外(朝鮮人、満洲人、中国人)等との差が顕著であること、を考えれば被告人が日本の国籍を有することを断定し得ないとしても、日本人であることの蓋然性が相当大きいことを否定し得ないのである。

以上により検察官の立証を以てしては本件公訴事実における被告人の犯意の点については勿論のこと、被告人が日本の国籍を有しない外国人である点についてもその証明が十分でないので刑訴法三三六条により犯罪の証明がないものとして無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 原田修)

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